ばあちゃんへ

ばあちゃん、今年の3月にみんなで集まってばあちゃんの1年遅れの米寿のお祝いをしたばかりなのに、なんでそれから半年ちょっとでお別れしなくてはいけないのでしょう。

あの時のばあちゃんは、昔とちっとも変わらず元気で明るくて姿勢が良いウチのばあちゃんでした。

変わったことといえば、じいちゃんへの気持ちを素直に言えるようになったことくらい。

4年前にじいちゃんが亡くなったことで、そのまま弱っちゃうんじゃないかと心配して声をかけたら「ようやく解放されてせいせいした!これからは24時間365日私の時間」だなんて言っていたのに、やっぱりじいちゃんがいなくて寂しかったんだね。

3月のお祝いの時に、生まれ変わってもまたこの家族と暮らしたいと迷わず言ったおばあちゃんのセリフは、この先もずっと忘れることはありません。

生まれ変わってももう一回じいちゃんと結婚したい?と聞いた質問に、「そりゃそうさー!!!」って笑いながら肩を叩いて来たあの日のようなお祝い事が、まだあと何回もできると思ったのに、今は非常に残念でなりません。

ばあちゃんとは、生まれた頃から一緒に暮らしていたので、近くで甘やかしてもらったのに、年齢を重ねるにつれてその優しさに照れて歯痒さを感じ、心無い言葉を投げつけて嫌な思いをさせたことも少なくなかったと思います。

それでも家に帰れば笑って迎え入れてくれたこと、ばあちゃんが作ってくれたおいしそうな香りのする台所、一人暮らしをしていたアパートに送ってくれたお米、その中にこっそり忍ばせてくれたお小遣い、東京まで足を運んでくれた大学の野球の試合では、いくつになってもあんたの野球している姿はハラハラして見ていられないと言っていました。

進学する時も就職する時も海外へ行くと決めた時も、何か言わないと気が済まないばあちゃんでしたが、それも孫を思う気持ちだったと頭ではわかっていても、当時は鬱陶しさが勝ってしまい、まともに向き合って話もしてあげられませんでした。

いつも近くで気にかけてくれていたじいちゃん、ばあちゃんの優しさに対して、素直に接することができず、孫としてのじいちゃん孝行ばあちゃん孝行はほとんどろくにできませんでした。

親の小言と二日酔いは後から効いてくるといいますが、幼い頃から言われ続けた「じいさんばあさんのことをもっと大事にしろ」という父親の言葉が、今さらになって痛く心に刺さり、取り返しのつかない今となっては、何の恩も返せないままもう会えなくなってしまった現実をただ悔やむばかりです。

そんなぼくも二週間ほど前に娘が産まれて父親になり、家族を持つこと、命を繋いでいくことの尊さをほんの少しではありますが感じられるようになりました。

今の心残りは3つ。

ばあちゃんにひ孫を抱っこしてもらえなかったこと、

最後になってしまったお見舞いの時に「もう一回来てね絶対来てね」と言われたのに、そのもう一回ができなかったこと、

ばあちゃんの淹れてくれたおいしいお茶がもう2度と飲めないこと。

会って話ができるうちに、言葉で伝えられるうちに、行動で示せるうちにもっとやってあげられたことがたくさんあっただろうに、ずっと言えなくて何もできなくてごめんなさい。

ばあちゃん、たくさんの優しさと愛情をありがとう

小さい頃からばあちゃんに口酸っぱく聞かされた「家族を大事にしなさい!親を泣かすんじゃないよ」という言葉。

ばあちゃんからもらった優しさと愛情を素直に返すことはできなかったけど、じいちゃんとおばあちゃんが苦しい時代を生き抜いて繋いでくれたこの命を、これからも一生懸命燃やし続けて今の家族と、またここから増えていくであろう新しい家族との縁を大切に生きていきます。

会えなくなってしまった今になってようやく素直に感謝が言えたので、ばあちゃんも久しぶりにじいちゃんに会ったら素直に気持ちを伝えてあげてください。

89年の人生、お疲れ様でした。本当にありがとう。

そっちでのんびりしながら、ぼくたち家族のこれからをじいちゃんと見守っていてください。

孫代表より 愛を込めて

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